私は近しい人・父親をすい臓癌で失いました。
すい臓癌とはどのようなもので、どのような症状があったのか、私が見てきた父親の闘病生活を一部お話しします。
すい臓癌とはどのようなものでしょう?
すい臓癌は50~70歳の特に比較的男性に多く発症する癌です。
初期のうちはほとんど症状が出ない為、痛みを感じた時にはすでに進行していることが考えられます。
その為、早期の発見は難しいとも言われています。
すい臓癌の90%は膵液の通る管、膵管から発生しています。
原因としては糖尿病や喫煙、慢性膵炎、遺伝などが危険因子と考えられています。
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背中の痛みの原因発見

私の父は若い時から十二指腸潰瘍になったり胆石になったり胃潰瘍になったりと極めて丈夫な人という訳でもありませんでした。
病院が好きなのか、何かあればすぐ病院に行ったり、定期検診も欠かさず行っていました。
その為、比較的病気も軽症でした。
このままだと糖尿病になる恐れがあると言われた時も、母の献身的な食事療法で免れましたし。
付き合いでお酒を飲むくらいで、家ではほとんど飲酒はしませんが、ヘビースモーカーではありました。
そんな父がある日突然、「食べたい気持ちはあるのに食が進まない、背中が痛い。」と言い、母に病院に行くように勧められました。
かかりつけの病院で「血糖値の様子がおかしいので、念のため大きな病院で検査をしてみてください。」と紹介状を渡されました。
先月定期検診をしたばかりで何も異常はなかったのに、と思いながらも家の近くの大きな総合病院で検査を受け、後日その検査の結果が父本人ではなく母に伝えられました。
すい臓癌でした。
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告知の有無

その頃の世間では「癌の告知は本人すべき」という方向に向かっている時期でした。
が、癌を伏せて胃潰瘍と言って手術をすることもまだ多い時代でした。
父はまだ検査結果が母にだけ伝えられたことを知りません。
医師から告知をどうするか判断を委ねられた母は、「告知はしない」という結論を出しました。
それから手術日が近くなるまでの約1か月近く、母は誰にも言わず一人で苦しんでいました。
父には胃潰瘍が重傷で手術をしないといけないと伝えていました。
手術の数日前、父が仕事でいない時に母から「話があるので座って落ち着いて聞いて欲しい。」と言われ、その時初めて父がすい臓癌であること、父はまだ知らないことを伝えられました。
「手術は約8時間に及ぶらしい。癌の事を告知するべきかどうか意見を聞きたい。」と涙を流しながらいう母に
「一人で抱え込んで悩んで、辛いのに気づいてあげられなくてごめん。よく頑張ったね。」
という言葉しか出てきませんでした。
でも母から返ってきた言葉は
「辛くて苦しんでいるのは私ではなく、○○(名前)さんだから。。。」でした。
県外で一人暮らしをしている兄にも連絡をとり、母の前では頑張って泣かなかった私も兄に話し始めると涙が溢れて止まりませんでした。
そして3人で出した結果は、「告知はしない。」でした。
父の性格を考えたら、「普段明るい父親でも告知したら病気に気持ちが負けてしまう。それだけはわかる。」という考えが一致したからです。

どこからもれるかわからないから、親戚にも誰にも言わない。

が、ただ一人父の姉(4人兄弟の長女)にのみ本当のことを話すことにしました。(父の両親は数年前に既に他界しており、長女自身嫁ぎ先でいろいろ苦労していたからか、口が堅いのも知っていたし家も一番近かった。)
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癌発見から手術まで
当時、私は旅行会社に勤めており、仕事で何日も家をあけることがほとんでした。
父の手術の日が決まった時に母から旅行シーズンで忙しいのはわかっているし、急に休暇をとるのは難しい仕事だとわかっているから、手術の日は入院の準備や手続きで忙しいので仕事を休んで欲しいと言われていました。
まだ何も知らなかった私は「普段はそんなこと言う人ではないのに。」とも思いながら休暇をだしました。
手術までの数週間、父の症状は日に日に激しくなっていました。
仕事から帰って、「背中が痛い。さすってくれ。」と床にうずくまり唸る時も多かったです。
手術を控えて薬も服用していましたが、父の背中の痛みは時間や場所を問いませんでした。
背中の真ん中から左側にかけて鈍痛が走り、嘔吐も度々でした。
まさか「すい臓癌」であるなんてことは、事の時はまだ私も知る由がありませんでした。母は父に仕事を休んだらと言っていましたが、仕事を楽しんでしている上、使命感のある父は休もうとしませんでした。
手術の日、兄には逆に勘のいい父が病気に気づくのを恐れ戻って来なくていいと伝えていました。
全身麻酔で眠ってしまう前に私たちは「大丈夫、終わるの待っとるから頑張って。」と言葉をかけ、送り出しました。
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約8時間の手術、そして。
父が手術室に入ってからは、ただただ手術室の前で待つことしかできません。
途中から一人だけ打ち明けた父の姉が食べ物と飲み物を持ってきてくれましたが、のどを通りません。
父の姉は手術が終わるまでずっと付き添ってくれました。
その間、私たちは「なぜ告知をしないか。」
「なぜ他の親戚にも誰にも言わないか。」という理由を改めて父の姉に話し、父の姉も理解してくれました。
母は、「もし転移していてまた手術が必要な時には父の他の兄弟姉妹たちにも打ち明けるので、それまで、話さないといけない時が来るまで黙っていて欲しい。」と伝えました。
約8時間にも及ぶ手術が終わり、私たちが医師から見せられたものはまるで私の拳ほどもある、でもとても綺麗な癌の塊でした。
それを見た途端、私たち3人の涙は止まらなく、母はその場に崩れ落ち、父の姉は手術室を飛び出し廊下で崩れ落ちました。
父の処置が終わりICUに移された後、改めて別室にて医師からのお話しを受けました。
父の姉にも一緒に聞いてもらった内容は、「胃を3分の2切除した。
残念ながら転移している。余命は約4か月。」ということでした。
その夜私は、仕事を早めに切り上げて実家に帰って来た兄とずっと朝まで話をしていました。
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1年4か月
大学の就職課に勤めていた父は、退院後も仕事を辞めることはありませんでした。
もちろん癌のことは知りません。
幸い、大学には冬休みや夏休みと長い休みがあります。
父の場合は、経過・検査入院という事で無理を言って休ませてもらってました。
長い休みの度に入院、でも一向勿論、学生は休みですが、勤め人はそうではありません。
に体調がよくならないことに疑問を受け、自分が癌ではないかと疑う父をいろんな理由を付けてごまかしていました。
しかし、2度目の手術が決まってしまいました。
母は約束していたとおり、他の父の兄弟姉妹と父の仕事場の直属の上司一人にだけ打ち明けましたが、私たち家族の意向により父本人にはやはり黙っていてもらうよう頼みました。
兄は地元の支社に転勤させてもらい、私は内勤職に変更させてもらい、もっと家族で過ごせる時間をもつようにしました。
苦しみながらも最後まで仕事を楽しみ、辞めることを拒み、最初の手術から1年4か月後、最後の痛みと戦い、ゆっくりと眠るように穏やかに
「空が白けてきたな。」
という言葉と小さな笑みを残し息を引き取りました。
1年4か月の間に1泊2日の国内旅行を一度、父が行きたいと言っていた近場の海外旅行を一度一緒に行きました
それも病気の父にはしんどかったかもしれません。
亡くなる3日前まで仕事も行っていました。
体はとても辛かったと思いますが、それが余命4か月と診断された父を1年4か月まで伸ばしてくれた原動力だったとも感じます。
おしまい
1年4か月の全てをお話しすることはできませんでしたが、読んでいただきありがとうございました。ご協力いただいた皆様に今も感謝しております。
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